「ふぅ~、これだからWindowsは・・・」
これまで、数えるのも億劫なほど聞かされてきた、このApple製品使いに言われてきたこのセリフを、今日また言われたとき、自分の中で何かがプツリと切れました。
なんというか、心のそこから反論したい気分でいっぱいになったわけです。
ところがどっこい、根が小心者でチキンな私はぶつぶつと自前のブログで文句をたれることしかできないので、ここでまとめてみることにしました。
アップル製品は優秀である
一番最初にこれははっきり言っておきます。
アップル製品は非常に優秀です。そして常に新しいものを世に送り出そうとしているのもアップルです。
ついでに、動作の安定性もピカイチ、操作性も抜群、デザインも秀逸です。
現に、私は「スマホ何を買ったらいい?」と聞かれればiPhoneを薦めています。
映像や画像を扱うお仕事をされている方に伺うとやはりそういった仕事にはMacは最適だとみなさんおっしゃります。
「Apple製品は優秀である」
これについては反論を挟み込む余地はありません。
どちらかと言うとこれに乗っかった
アップル病をこじらせた人たち
こっちに対し疑問がわいてくるわけです。
Apple製品を使っていることが特別であり、クリエイテブであり、センスを刺激し、最先端である。
そうなのかもしれません、彼らにとっては。
でも私は全くそうは思わないのです。
アップル製品こそ完全な思考停止アイテムである
私はそう思うのです。
私がスマホについて聞かれたときにiPhoneを薦めるのもそのためです。
使いやすくて無難で何も考えなくていい、端末ごとの個性などなくiOSを積んでいるものは全てiPhone。Androidのように端末ごとに微妙に違っていて、機種が違うとメニューも微妙に違うなんてこともありません。サードパーティー製品も規格が決まっているからほぼ間違いなくマッチし、動作します。アプリについてもユーザーが細かい設定をしたりなんていう小難しいことはいらないものがほとんど。「ぼくのたんまつだとうごかないよ!」なんてこともあまりないでしょう。
だからiPhoneを薦めるんです。ユーザーは何も考えなくていいから。
車選びで迷ってる人にトヨタのカローラを薦めるのと同じ
こんな感覚です。トヨタ車は誰がどう見ても優秀。超優秀。その中でも一般的なカローラを買っておけばほぼ間違いない。安心して乗れます。
だから他人には薦めます。でも自分では絶対に買いません。なんだかシャクだから。
Appleはもはやそんな立ち位置いると私は考えています。
iPhoneが出た当時、「ほかにはない新しいものが出てきた」と、それがいかに革新的で、時代を先取りしているかを察知した人たちがいました。そして「ほかと一緒はいやだ」「コレが独自性だ」とあのときにiPhoneに飛びついた人たちは確かに先見性があったのだと思います。何せ私はそのとき「そんなもんガラケーでいいじゃん」といっていた人間の一人で、ここまでスマホが浸透するとは思っていませんでした。
でもそれも過去の話。そうやってiPhoneに飛びつき、いつの間にか「Appleは個性的」「Appleは最新鋭」と心酔し、Apple製品で身を固めてしまうと話は別物です。
量産されつくして見飽きてしまったオシャレなカフェでマックを開いてお仕事してる(風)な量産型マックユーザーとの差異がわかりません。
ついでに、独自規格のケーブルやらで縛られ、規格が変わればぶーぶーと文句をたれながらそれでも素直に従い、奴隷の鎖自慢のようなことを言いながら、Apple製品に縛られ、取り込まれてがんじがらめになってしまっている人に「私は最先端です」「私は個性的です」アピールをされてもさっぱり共感できないわけです。「あんたそれでいいの?」と聞きたくなります。「あんたの個性に対する貪欲さはどこに行った?」と聞きたくなるのです。
そうなると
ドヤ顔で個性をアピールするAppleユーザーこそが没個性の象徴
そう思えてならなくなります。
アレですね一時期はやった「ガングロ」とか「マンバ」とかどぎついメイクをした女子高生達が皆同じようなメイクなのにもかかわらず「コレが個性!」といっていたのに対し、多くの人が「他と同じような格好なのに個性なの?」と突っ込んでいたアレと同じです。
私には今のApple製品は「ユニクロの服」「コンビニ弁当」「コカコーラ」などと一緒。自分の発想が貧相で辟易しますが、つまりは「とりあえず無難で間違いのないもの」にしか思えないのです。
じゃぁ逆にWindowsやAndroidはすばらしいのか?と聞かれたら全くそんなことはありません。本当に酷いと思うことがたくさんあります。でもそれでもいいんです。思考は「ほかと一緒はいやだ」とiPhoneに飛びついた人と大して変わりません。ただ「その他大勢のAppleおよびiPhoneユーザー」になりたくない!という部分が多大にあります。まぁ50歩100歩。どうでもいいような争いです。
そして最後に一番解せないこと。それは
Macを使う必要のない人間がMacを使ってドヤ顔してること
コレに尽きます。
では、Macを使う必要のない人。これはどんな人か。
・別段Macじゃなくても問題ないような仕事をしている
・周りがほとんどWindwosユーザー
・クライアントがWindowsユーザー
この辺の人が「マックだから文字化けして見えない」「マックだからアプリが使えない」「サファリだからわからない」「マックだと設定が違う」「マックだと開けない」「マックだとetc」
マックなんぞ窓から捨ててしまえ!
まぁクライアントがMacの場合は仕方がない。その場合はMacでのサポートもできるようにする。これは当たり前の姿勢。
だがこちらがクライアントとなった場合に「マックだから~」なんていわれたらもうね。「こっちはWindowsなんだけど?それはそちらの勝手な都合でしょ?」と言いたくなる。でもチキンだからいえない!悔しい!
何はともあれ上記のような人はマック使う必要ないじゃんねっていう。むしろまだまだマイノリティのMacを使ってドヤ顔したいだけなのに、それに周りがあわせる必要が本当あるのか?Macは神様か何かなのか?
とまぁいろいろと鬱屈した感情を吐露してみましたが、私もPCやら携帯ひとつで個性がどうのこうの、そんな小さなところで他との差分化を図ろうとしている没個性人間なのが記事を書きながら見え隠れし始めたので、このあたりで終わりにしておきます。本当に「個性」と言うものがある人、記事のタイトルどおりクリエイテブで刺激的な人は、道具なんて多分どうでもいい人たちなのでしょう。MacもWindowsもiPhoneもAndroidも所詮は道具。それを使って生み出すものこそが本当のその人の個性と知っている人たちなんだと思います。
書けば書くほど自分の小ささがにじみ出てくる何とも情けない記事となりました。あー自分が情けない。
コメント
例えの乱用で読みづらい。
ぺーぺぺ さん
コメントありがとうございます!
おっしゃる通りですねぇ。
自ら読み返してみるとひどい文章ですね…。
古い記事にコメントごめんなさい。
天邪鬼なのですごく共感できました。
心が狭いというのはこだわりがあるということです。
読みづらくなかったですよ。
匿名 さん
コメントいただきありがとうございます。
こんな書きなぐりの記事なのにコメントいただけてうれしいです!
今後とも当ブログをよろしくお願いいたします!